未来の事を描きながらも、歴史について、今自分達が生きている世界について、十二分に考えさせられる本でした。
産業革命がヨーロッパで起こり、文明という怪物が世界中に植民地をつくる中で、支配する者と支配される者が生まれる。支配される者は支配する者を憎みつつも、彼らの享受する富や利便性や華やかさに魅了される。そして自分達の夢や希望が、自分達を支配する人達と同じ生活を営むことになった時、民族は自分達のアイデンティティを失い、この物語の主人公が言うところの偽物のヨーロッパ人に堕落してしまう。
何だか日本の歴史を見ているようでもあります(笑)
主人公は絶滅に瀕したアフリカの種族、キクユ族の一員であり、ヨーロッパの教育を受けた知識人です。彼は仲間達とともに地球を離れ、キリンヤガと名づけられた小惑星において、民族の伝統と宗教に守られたユートピアを築こうと奮闘するのですが。。。
ここから先は実際に読んでいただければと思います。
この小説の素晴らしいところは、一つ一つの章が独立した短編となっていて読み進めやすいこと。でも、各々のエピソードが関連し合っていて、全体として一つの物語を構成していることです。
『ユートピアはディストピア』としたのは、僕なりの解釈であり、それは読み返す毎に変わる印象かもしれません。
このレビューを読んで興味を持った方は是非手に取って頂けたらと。。。きっと各人が各人の考えを深めるきっかけになるんじゃないかと思います。
こういう小説を読んで仲間達と語り合えたら、本当にいい酒が飲めるのになあ。
夢かな。
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キリンヤガ (ハヤカワ文庫 SF レ 3-4) 文庫 – 1999/5/1
- 本の長さ479ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1999/5/1
- ISBN-10415011272X
- ISBN-13978-4150112721
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登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1999/5/1)
- 発売日 : 1999/5/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 479ページ
- ISBN-10 : 415011272X
- ISBN-13 : 978-4150112721
- Amazon 売れ筋ランキング: - 555,946位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年9月12日に日本でレビュー済み
人造のユートピアを主人公の祈祷師コリバが何とか維持、守ろうと奮闘するのが主筋。
このコリバ、現実世界に例えるなら
インテリジェントデザイン論をゴリ押しする宗教右派
伝統に固執する教条主義者
論戦に勝つために詭弁を弄するを厭わないマキャヴェリスト
といったすさまじいキャラクターだ。
どれも私が(現実では)大嫌いな属性である、にも関わらず私はこのキャラを好きになってしまった。
これぞこの小説の肝であり魅力だ。
彼とサブキャラクターが織り成す一つ一つの短編それ自体もシンプルに面白い。
既に高い評価を得ているが、もっとレビューが付いてよい作品。
SF要素は単なる舞台装置としてにとどまる作品なのでそこは注意。
このコリバ、現実世界に例えるなら
インテリジェントデザイン論をゴリ押しする宗教右派
伝統に固執する教条主義者
論戦に勝つために詭弁を弄するを厭わないマキャヴェリスト
といったすさまじいキャラクターだ。
どれも私が(現実では)大嫌いな属性である、にも関わらず私はこのキャラを好きになってしまった。
これぞこの小説の肝であり魅力だ。
彼とサブキャラクターが織り成す一つ一つの短編それ自体もシンプルに面白い。
既に高い評価を得ているが、もっとレビューが付いてよい作品。
SF要素は単なる舞台装置としてにとどまる作品なのでそこは注意。
2006年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても美しくて、すばらしい作品だと思う。そして、SFというジャンルにありながら、SF臭さを感じさせる部分が本当に少なかった。感動したのだが、評価は3とした。
理由は3つ。
一つはキユク族の文化がヨーロッパの文化に負けてしまうという結末。祈祷師が、頭がいいはずなのに最後には頑固な老人として描かれてしまったのが、とても残念だった。「大きな利益には大きな代償がある」という内容のたとえ話が出てきたら面白かったのにと思わざるを得ない。
一つは祈祷師がコンピューターを使っていたこと。キユク族の文化を守るために自らが実践せねばならないのに、その根底を覆してしまっているように思える。
一つはキユク族のユートピア「キリンヤガ」の行く末が書かれていないこと。作品の結末はヨーロッパの文化に侵食されたケニアが舞台となっている。唯一の祈祷師である主人公が「キリンヤガ」を出てしまったのだから、行く末は「ケニア」となるという暗示だと思うが。
最終章に出てくる公園の老人たちを見て、6章の教訓が生かせれば、もっと面白い話になったかもしれない。
理由は3つ。
一つはキユク族の文化がヨーロッパの文化に負けてしまうという結末。祈祷師が、頭がいいはずなのに最後には頑固な老人として描かれてしまったのが、とても残念だった。「大きな利益には大きな代償がある」という内容のたとえ話が出てきたら面白かったのにと思わざるを得ない。
一つは祈祷師がコンピューターを使っていたこと。キユク族の文化を守るために自らが実践せねばならないのに、その根底を覆してしまっているように思える。
一つはキユク族のユートピア「キリンヤガ」の行く末が書かれていないこと。作品の結末はヨーロッパの文化に侵食されたケニアが舞台となっている。唯一の祈祷師である主人公が「キリンヤガ」を出てしまったのだから、行く末は「ケニア」となるという暗示だと思うが。
最終章に出てくる公園の老人たちを見て、6章の教訓が生かせれば、もっと面白い話になったかもしれない。
2008年1月2日に日本でレビュー済み
第2エピソードの「空にふれた少女」を読んで不覚にも涙してしまった。もともと独立した短編だったので、厚くて高いのでまずはお試しにこの章を立ち読みででも読んで買うかどうか決めてもいいと思いますが、本屋で泣いたりしたらかっこ悪いですね。
全体の半分くらいまで読み進めたところで、暗い気持ちになって、最後の「古き神々の死すとき」はワーグナーの「神々の黄昏」のような荘厳さを感じました。
ユートピアは「どこにも無い場所」という意味だと 聴いたことがありますが、どこにも無い場所を求める物語は現実の社会の鏡として大変興味深いですね。(逆ユートピア小説も同じだと思います)
そういう点SFという形式は大変都合が良いのでしょう、(逆)ユートピア小説としては「1984」に並ぶものと思いました。
なお、この小説を書くに当たっての2つの条件が、オーソンスコットカード編集者から作者に出されたそうです。それは 「小惑星を借り受けた人がユートピアを作れること、いつでも出て行きたいときに宙港に行けば出て行けること」「物語は内部のものによって語られること」だそうです。そこからこれだけの小説ができるのですから本当に大したものです。
we need perpetual change!
全体の半分くらいまで読み進めたところで、暗い気持ちになって、最後の「古き神々の死すとき」はワーグナーの「神々の黄昏」のような荘厳さを感じました。
ユートピアは「どこにも無い場所」という意味だと 聴いたことがありますが、どこにも無い場所を求める物語は現実の社会の鏡として大変興味深いですね。(逆ユートピア小説も同じだと思います)
そういう点SFという形式は大変都合が良いのでしょう、(逆)ユートピア小説としては「1984」に並ぶものと思いました。
なお、この小説を書くに当たっての2つの条件が、オーソンスコットカード編集者から作者に出されたそうです。それは 「小惑星を借り受けた人がユートピアを作れること、いつでも出て行きたいときに宙港に行けば出て行けること」「物語は内部のものによって語られること」だそうです。そこからこれだけの小説ができるのですから本当に大したものです。
we need perpetual change!
2022年4月27日に日本でレビュー済み
絶賛一途の傑作という評価が多いし、この作品の上手さ、設定、展開、技術、どれも素晴らしいので傑作という評価に対して、技術的に異を唱えるつもりはないのだが、この作品を礼賛すると、どうしても私には反知性主義に加担することになると思えるので、好きになれず、また良い評価をすることができない作品だった。
正しく言えば、これほど反感を掻き立てられたSFはなかった。
たとえば、現実の世界で、経典に記載のない技術に基づく医療を拒否するとか、それと同一の意識構造を感じる。
宗教にしろ思想にしろ、望むと望まないとにかかわらず、その時に生きている現実の時間・空間の状況を無視して、現実の状況を勘案しながらどのように信条と調和させていくのかという葛藤を避け、動物園のような、ひきこもりのような、現実との干渉を避けた隔離を自ら選んだだけの現実逃避(自分ひとりなら全く問題ないが、部族単位を強制しての自主的なアパルトヘイトのようなもの)としか思えなかった。
しかもそうした宇宙空間に自ら好んで人類から自らを隔離した別天地でも発生した独自の知能を抑圧し、その少女は自殺。
たんなる原始社会の持続の強制で、明治時代の日本人がこの社会を見たら、江戸時代に自主的に進歩を拒絶した鎖国のアナロジーを見るのではないか。
著者は、原理主義的な宗教を揶揄するつもりでこれを書いたのかもしれないが、あるいは日本人である私は鎖国時代の強烈なアンチテーゼとして読んだが、それならば著者の意図は十分に(あるいは著者の意図と反対に)達成され、この作品は「技術的には素晴らしいのだけれども、読後感はアンチテーゼの傑作の域を超えて著者への反感が醸成された」レベルの達成度で、これ以後二度と著者の本は読んでいない。
所詮作り事、絵空事のことで、こうしたマイナスの評価は、歌舞伎で悪役を演じている役者に対して、観客の武士が切りかかっていったという「どれだけ巧みに現実を模倣したか」を褒め称える神話があるし、そうした意味での著者の技術は素晴らしいのだが、…それでもなにかが異なっているし間違っている、という違和感があった。
それは1990年代の日本の仮想戦記に対して思った反感と違和感と似ている。
「現実の根幹に触れることもせず、戦後の体制で信条の自由があるから想像することができたのに、いまの体制の根幹をもてあそぶようなことをするのは卑劣ではないか。あの体制が続いていたら、そもそもこんな想像力、ジャンルそのものが成立できるのか」という…。
具体的には、大日本帝国が継続していたら、「高い城の男」の逆バージョンはその世界線での大日本帝国で書かれることは決してなかったと思う。
体制的にも、また、想像力のありようとしても…。
その時は気づかなかったが、それに似た反近代の、それも間違いなく敗北と現実拒否にもとづく想像力の産物に対する反感であったと気づいたのはだいぶ後の事だったのだけれども…。
正しく言えば、これほど反感を掻き立てられたSFはなかった。
たとえば、現実の世界で、経典に記載のない技術に基づく医療を拒否するとか、それと同一の意識構造を感じる。
宗教にしろ思想にしろ、望むと望まないとにかかわらず、その時に生きている現実の時間・空間の状況を無視して、現実の状況を勘案しながらどのように信条と調和させていくのかという葛藤を避け、動物園のような、ひきこもりのような、現実との干渉を避けた隔離を自ら選んだだけの現実逃避(自分ひとりなら全く問題ないが、部族単位を強制しての自主的なアパルトヘイトのようなもの)としか思えなかった。
しかもそうした宇宙空間に自ら好んで人類から自らを隔離した別天地でも発生した独自の知能を抑圧し、その少女は自殺。
たんなる原始社会の持続の強制で、明治時代の日本人がこの社会を見たら、江戸時代に自主的に進歩を拒絶した鎖国のアナロジーを見るのではないか。
著者は、原理主義的な宗教を揶揄するつもりでこれを書いたのかもしれないが、あるいは日本人である私は鎖国時代の強烈なアンチテーゼとして読んだが、それならば著者の意図は十分に(あるいは著者の意図と反対に)達成され、この作品は「技術的には素晴らしいのだけれども、読後感はアンチテーゼの傑作の域を超えて著者への反感が醸成された」レベルの達成度で、これ以後二度と著者の本は読んでいない。
所詮作り事、絵空事のことで、こうしたマイナスの評価は、歌舞伎で悪役を演じている役者に対して、観客の武士が切りかかっていったという「どれだけ巧みに現実を模倣したか」を褒め称える神話があるし、そうした意味での著者の技術は素晴らしいのだが、…それでもなにかが異なっているし間違っている、という違和感があった。
それは1990年代の日本の仮想戦記に対して思った反感と違和感と似ている。
「現実の根幹に触れることもせず、戦後の体制で信条の自由があるから想像することができたのに、いまの体制の根幹をもてあそぶようなことをするのは卑劣ではないか。あの体制が続いていたら、そもそもこんな想像力、ジャンルそのものが成立できるのか」という…。
具体的には、大日本帝国が継続していたら、「高い城の男」の逆バージョンはその世界線での大日本帝国で書かれることは決してなかったと思う。
体制的にも、また、想像力のありようとしても…。
その時は気づかなかったが、それに似た反近代の、それも間違いなく敗北と現実拒否にもとづく想像力の産物に対する反感であったと気づいたのはだいぶ後の事だったのだけれども…。
2016年12月22日に日本でレビュー済み
ある種の思考実験的な作品です。 舞台背景はSFですが所謂SFではありません。
各エピソードはそれぞれに個別のテーマがあり、どれも面白いです。
最終的には「当然のように」老人(未開文明)は西洋文明に敗れることになります。
無知蒙昧故に成り立っていた未開社会が「彼らの意思で」崩壊していく様こそ
この作品のグランドテーマであり、ハイライトです。
それだけに主人公?である老人が西洋文明にどっぷり漬かって博士号を取得するほどのインテリであるにも
かかわらず何故未開文明の維持に頑なに固執するのか? この背景を描いてないのが非常に残念。
彼を突き動かす原動力、衝動の因がわからないと彼の頑迷さがなおさら謎でモヤモヤします。
この辺が描かれていればパーフェクトと言える出来だったと考え、★4つとしました。
西洋文明に漬かりながら未開社会にこだわる老人と、未開社会故に先進文明に無心に飛びつく部族。
一見すると好対照にも見えますが実はそうではない。 部族人は片方しか知らないため比較対象がありませんが
老人はどちらにも精通しているため比較検討した上?で未開社会をあえて選んでいるワケです。
彼の価値観の大元がわかればもう少しこの壮大なテーマを楽しめたと思います。
各エピソードはそれぞれに個別のテーマがあり、どれも面白いです。
最終的には「当然のように」老人(未開文明)は西洋文明に敗れることになります。
無知蒙昧故に成り立っていた未開社会が「彼らの意思で」崩壊していく様こそ
この作品のグランドテーマであり、ハイライトです。
それだけに主人公?である老人が西洋文明にどっぷり漬かって博士号を取得するほどのインテリであるにも
かかわらず何故未開文明の維持に頑なに固執するのか? この背景を描いてないのが非常に残念。
彼を突き動かす原動力、衝動の因がわからないと彼の頑迷さがなおさら謎でモヤモヤします。
この辺が描かれていればパーフェクトと言える出来だったと考え、★4つとしました。
西洋文明に漬かりながら未開社会にこだわる老人と、未開社会故に先進文明に無心に飛びつく部族。
一見すると好対照にも見えますが実はそうではない。 部族人は片方しか知らないため比較対象がありませんが
老人はどちらにも精通しているため比較検討した上?で未開社会をあえて選んでいるワケです。
彼の価値観の大元がわかればもう少しこの壮大なテーマを楽しめたと思います。
2006年8月6日に日本でレビュー済み
現代でもある、昔ながらの伝統を守る森の少数民族の文明化を取り上げた寓話集。
都市化の波にさらされた少数民族の末裔達が、敢えて、現代の快適な生活を捨て、科学のない世界(キリンヤガ)を再構築するという極めて面白い設定となっている。
文明社会で学び、博士号さえ持つ主人公が、科学の力を借りながら、未開な部族を教え諭し、導いて行く。
しかし、そこには様々な葛藤が生まれて来る。
「アイデンティティ(存在証明)を求める若者」、「男女平等を求める少女」、「偶然にキリンヤガにやって来たが、目の前にいる病人を思わず治療してしまった医者が引き起こす騒動」、「未開民族を私利私欲で支配しようとする文明人の訪問」、「自然に生まれる発明」等の難問に主人公は真摯に挑み、敗れて行く。
文明社会以外の社会を呑み込んでしまう文明社会の恐ろしさ、現在の暮らしの尊さは失ってみなければ分からないこと、進歩は自然なことで押し留められないこと等が哀愁に満ちて描かれる。
安易な文明批判ではない、深さを持つ作品。SFであるが、一般の小説として読まれても全く問題のない傑作です。
都市化の波にさらされた少数民族の末裔達が、敢えて、現代の快適な生活を捨て、科学のない世界(キリンヤガ)を再構築するという極めて面白い設定となっている。
文明社会で学び、博士号さえ持つ主人公が、科学の力を借りながら、未開な部族を教え諭し、導いて行く。
しかし、そこには様々な葛藤が生まれて来る。
「アイデンティティ(存在証明)を求める若者」、「男女平等を求める少女」、「偶然にキリンヤガにやって来たが、目の前にいる病人を思わず治療してしまった医者が引き起こす騒動」、「未開民族を私利私欲で支配しようとする文明人の訪問」、「自然に生まれる発明」等の難問に主人公は真摯に挑み、敗れて行く。
文明社会以外の社会を呑み込んでしまう文明社会の恐ろしさ、現在の暮らしの尊さは失ってみなければ分からないこと、進歩は自然なことで押し留められないこと等が哀愁に満ちて描かれる。
安易な文明批判ではない、深さを持つ作品。SFであるが、一般の小説として読まれても全く問題のない傑作です。
2004年6月18日に日本でレビュー済み
誰でも人格を形成している価値観を捨て去ることはできない。そして新しい思想、技術に目覚めた後に、それがいまの生活を変えるものだからという理由で捨て去ることはなおできない。
主人公の老人は宇宙移民も可能なほど先の未来に住んでいる。それなのに、彼は民族としての誇りを取り戻し、数百年前もの生活(彼はそれを“伝統的な生活”と考え、近代的な息子は“原始的生活”と考える)を営むために、志を同じくする者たちと共に、ある惑星に移り住む。
だが、そんな生活は、当然長続きしない。彼が夢見た“伝統的な”世界で生まれ育った若者たちは結局、彼を見捨て、未来へと旅立っていく。
この状況だけ見れば、彼は根拠もなく過去にしがみつく頑迷な老人である。未来に生きる若者なら誰でも嫌悪するだろう。
だが自分でもそれを悟りながら、最後まで自分のアイデンティティの誇り高さを保つその姿には、誰でも感動を覚えずにはいられないだろう。
革新か保守か、というと殺風景だが、とにかく社会と個人、過去と未来のジレンマという古今東西の普遍的テーマを扱って、娯楽作としてこれほど優れた小説を私は他に知らない。
また「空に触れた少女」などの詩的な描写もすばらしい。
主人公の老人は宇宙移民も可能なほど先の未来に住んでいる。それなのに、彼は民族としての誇りを取り戻し、数百年前もの生活(彼はそれを“伝統的な生活”と考え、近代的な息子は“原始的生活”と考える)を営むために、志を同じくする者たちと共に、ある惑星に移り住む。
だが、そんな生活は、当然長続きしない。彼が夢見た“伝統的な”世界で生まれ育った若者たちは結局、彼を見捨て、未来へと旅立っていく。
この状況だけ見れば、彼は根拠もなく過去にしがみつく頑迷な老人である。未来に生きる若者なら誰でも嫌悪するだろう。
だが自分でもそれを悟りながら、最後まで自分のアイデンティティの誇り高さを保つその姿には、誰でも感動を覚えずにはいられないだろう。
革新か保守か、というと殺風景だが、とにかく社会と個人、過去と未来のジレンマという古今東西の普遍的テーマを扱って、娯楽作としてこれほど優れた小説を私は他に知らない。
また「空に触れた少女」などの詩的な描写もすばらしい。